言語造形とは

 

ものがたり、詩、戯曲など、ことばの作品を、活き活きと語ること。

空間にことばを造形してゆくこと。

それを、言語造形を通して行うということは、

からだをめいいっぱい使い、呼吸を解き放ち語る、

全身心、ダイナミックに使っての作業です。

 

 

「言語造形」とはルドルフ・シュタイナーが提唱した

アントロポゾフィー人智学という哲学から汲み出された、朗読・演技術です。

 

 

本に書かれている文字は、紙の上に並んでいるだけで、普段わたしたちは

それを知的に読むだけです。

ことばを声にするとき、空間に、ひびきが生まれます。

そのひびきは、活き活きとしているでしょうか。

そして語る人のこころは、活き活きとしているでしょうか。

 

 

言語造形でテキストに取り組む際の、大きな特徴は、

からだをめいいっぱい使い、そして、

息を吐ききることです。

 

 

文をからだで動くこと、からだで解き放つこと、

そのように取り組むと、自然と呼吸が深まり、こころが動き始めます。

すると、

「こうしよう、ああしよう」

と思わなくても、文がおのずから、

息遣い、響き、情感を立ち上がらせてくれます。

 

 

そのようにして、頭で考え出したものではない語りは、

自然と聞き手に伝わります。

 

わたしたちは驚きます。

からだの動き・身振り・または姿勢によって、ある特定の感情がおのずから

立ち上がってくることに。

 

 

そうして作品に取り組んでいくことは、

<わたしがわたしである>という、深みや琴線に触れることにつながります。

作品を「ああ語ろう、こう語ろう」と考えるのではなく、

からだもこころも、作品のことばに沿って稽古してゆくと、

作品を従わせているのではなく、作品の精神に仕えているわたしがあります。

 

ことばという自然に、からだから仕えているとき、

自己認識を得るのです。

 

農の話をすると、

自然農では、自然に沿い、従い、最終的にはゆだねます。

それは、自然に仕える、ともいうことができます。

自然を、ああしよう、こうしようとしないこと。

見つめ、耳を澄ますこと。

すると、認識を得るのです。

 

そのようにあるとき、ときに、秘められた形で、

作品はわたしたちに語りかけます。

 

 

呼吸と身振りをもって取り組まれたことばは、余韻をもちます。

その余韻を、わたしたちは、精神の耳で聴き始めます。

そのことが、わたしたちに、静寂を与えます。

 

作品に内在している、作品の精神を見出す作業、それは

こころを、日々新たに、新鮮な水で洗うようなものだと

わたしは思っています。

 

 静寂、そして作品の精神に触れるということは、

わたしたちがこころの奥底で求めてやまない、潤い、にふれるということです。

 

 

そうした精神の潤いに触れることは、

ひとが、自分らしくあること、

果ては、人間が人間らしくあることにつながることだと

わたしには思えます。

 

こうして、ことばの精神に触れようと、わたしは動き始めました。

 

ことばを求めるあまり、他のすべてを投げ打ったことがあります。

しかし、そのことによって、逆に、ことばを支えているものが

(身振りや息遣いがことばを支えているように)

自然であり、手を使う営みであることに気づきました。

 

ひとつのものは、他のすべてとつながりあっている。

そうしたところを大切にしながら、すすめてゆくのが、

わたしの言語造形のオリジナリティだと近年思い至りました。

 

言語造形は、ひとの、どこまでも深い探求でもあります。

楽しさの中、その奥に続く細道には、計り知れない深さがあります。

 

このような、ことばを語る芸術に触れてみませんか。

 


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